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2006年 01月 17日
日常にはいろんな音がある。
誰しも「音の波に揺られて…」生きている。

最近私の耳はおかしな音を感じるようになった。
左耳でぼーっと耳鳴りのような音がなり続けいる。
それは突然私の体に現れた。
ボイラーの音のようにも聞こえるし冷蔵庫のモータの音にも聞こえる。
最初は本当にその音かなって思ったし気にしていなかった。
生活していると気にならないがトイレの中や寝る前や外を一人散歩している無音の時に聞こえてくる。
それが何なのか判らなかったが気になるとその音が次第に大きくなる。
私は音楽が好きだし自然の音(雨音や風の音や雷鳴)が好きだから極力いつでも音の波に揺られている。
正直無音状態になるのはあんまり無い。
だから気がつくのが遅れたのかもしれないが結構前からこんな症状があったのかもしれない。

人間は通常20Hz~15000Hzもしくは20000Hz程度の音を感じることができ、これを可聴域という。音とは、物体の振動の周波数が人間の可聴域にあるものを指し、また物理的実態に対する呼称として音波(オンパ)とも言う。可聴域外にあるものは超音波あるいは低周波と呼び。音波の情報が聴覚系により神経活動情報に変換され脳において「音である」と認識される。それは空気を振動して伝わる場合もあるし音波の情報が聴覚系により神経活動情報に変換され脳において「音である」と認識される場合がある。

今回の私の耳における耳鳴りにも似たものは神経が過敏になっており普段聞こえない物が聞こえている状態でもあるのではないかって思う。医師によれば突発性難聴 (Sudden Deafness)の疑いがあるという。主な症状としては特別なきっかけもなく、ある時突然に、通常片側の耳が聞こえづらくなる病気でストレスからこうなる場合も多く見られるらしい。

昨日の記事に書いて下さった方もいたけど私は昔から色んなことに関して感受性が高い。
常にいろんなことに対してアンテナを張り巡らせていたりする。色んなものを吸収できる反面そんなことを続けると人の気がつかない所まで気がいって気疲れしてしまう。つまり処理能力以上の情報を吸収してしまう。
私の写真はその感受性から作品が生まれている気がする。今は写真や美に対する感度が落ちているのが判る。撮っても自分じゃ無いようなものが生まれてくる。
今日もその頃に撮った写真を載せようと思ったけど止めた(リクあれば張ります)

昔っからオーバーヒートだったり繰り返したけどそれを改めようと思ったことは無い。
自分がやっていることは間違っていないと思っているしそう信じて生きてきた。
信念を持つってことは大切だけど生きていくとその信念も変えなくてはいけない状況に出会う。
例えば人を見て態度を変えるなんて昔は大嫌いだった。でも今の私はそんなこともなんとも思わずやってのける。
仕事だからとかという一番自分を納得させやすい理由をつけたりしながら。ふと気づくとそんな自分にも軽蔑を抱いていたりする。
そうやってなんでも消化するように生きている。今回はそれを消化しきれていない部分が出てきた。希望があるのに不安しか見ていないで…

今はそんなことを忘れ一人音楽を聞き入る。
耳の神経が過敏になっているそのことを逆に生かしてしまおうと思い音楽をかける。
音に敏感になった分音楽を聴いてみる。不思議と今までと違った感度で音が聞けることに気づいた。
間接照明の淡い光を浴びながらジョン・コルトレーンのバラードをそっと耳に入れる。
そう言えば先日行ったバーで「SAY IT」が流れていた。
そんなこともあったなーなんて思いながらその事を思い出してみたりする。

音というのは娯楽という感覚だけではなく聴覚によって思い出をも呼び起こさせる。
数年前に買ったCDを今改めて聞くと全然違った思いで聴けるし当時の思い出が出てくる。
そんなことがあるから音の波に揺られると自然と涙が出てきたりする。

私の音の源流は波の音。
子供の頃から海が近い場所に住んでいた。
何かがあると一人で海に行って星を見ながら波の音を聞いていた。
深夜に自転車を走らせて波の音を感じていた。
高校時代に彼女も誘って自転車を漕ぎながら深夜の海に向かったこともあった。
今音楽を聴きながらそんなことを思い出した。
そんなことを思い出した今日この頃。


追記
今までの文章とまったく違うので違和感を感じられる方がいるかもしれませんがどちらかといえばこちらの方が素に近いです。




バラード
ジョン・コルトレーン / ユニバーサルクラシック
ISBN : B000AA7DZ0
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by wavesounds | 2006-01-17 22:03


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